北京の大学野球事情
中国人(台湾を除く)は野球をあまり好きではない(そもそも知らない)というのが定説だったんですが、ここ最近の大都市部の大学生の間ではじわじわと野球人口が広がってきているみたいです。
普及の要因
実際に北京で野球部に参加する大学生に軽く聞き取りをしたところでは以下の3点が要因っぽいです。
・インターネットの普及によってMLBやNPB等の情報を得やすくなったこと
・日本の漫画、アニメによる野球の認知度向上(時代的には「ダイヤのA」とかなんでしょうか。僕は「H2」が好きです)
・在中日本人の中に一定数の野球経験者がいること
男子の野球だけでなく女子のソフトボールも普及してきているみたいですね。学内で練習しているのをたまに見かけます。
六大学野球リーグの創設
ある程度野球人口が増えてきたところで「東京六大学野球連盟」みたいなリーグ戦がしたい(東都大学リーグじゃないのはブランド力の違いでしょうか…)という機運が盛り上がって「北京六大学棒球联盟」の結成に至ったみたいですね。2017年の秋が第2期ということなので結構最近のことのようです。ちなみに北京のほうの六大学は清華大学・北京大学・北京交通大学・対外経済貿易大学・北京師範大学・北京体育大学からなってます。
リーグ戦を観戦してみた
ある日曜日にリーグ戦が学内の野球場であるということで観戦することにしました。対戦カードは北京大学−北京体育大学です。
野球がそこまでポピュラーじゃない割には人工芝の専用グラウンドが整備されています。ここまでするならベンチとスコアボードくらい作ってあげてもいいんじゃないかな…
プレー中の様子。会場にはカメラも入っていたので多分ネット中継もしているんだと思います(これかな? 北京六大学联盟联赛-章鱼-全民原创互动的体育直播)。
肝心の試合なんですが、四球→盗塁→牽制死とか、四球→四球→暴投→エラー&悪送球で2点とか、日本では草野球でもなかなか見かけないプレーの連続で最初は面白かったんですが途中からだいぶ食傷気味でした。基本的にヒットでの出塁も三振でのアウトもないので2回裏終了までに1時間以上経過しており、観戦する側も結構しんどかったです(一応9回までやることになっているが大体途中で打ち切りになるとのこと)。
北京における大学野球の競技水準はどこが不足しているのか?
インターネットに生息する野良の野球解説者として気になった点をいくつか(個人的な感想です)。
・トレーニングしよう
パッとみた感じ痩せ気味か太り気味のプレーヤーしかいなかったのでもう少しトレーニングをしたほうがいいような気がしました(小中高と野球に全てを捧げてトレーニングしまくっている日本人がおかしいんですけどね)。
・まともな投手と捕手を探そう
四球での出塁が多すぎるのでストライクゾーンに直球を投げ込める投手を探すのが最優先だと思いました(四球で球数が増えて回が進むごとにバテバテになる悪循環…)。多分外角低めに直球を投げ込める制球力だけでリーグ戦優勝できると思う。
四球かエラーで走者を出した後、盗塁か暴投で進塁させて失点という流れも何度も見たので、盗塁を刺せる肩と高い壁性能を持った捕手を探すことが次点ですね…(野球は一に投手で二に捕手というのはあだち充も言ってるし)
・守備練習しよう
エラー(落球や悪送球といった明らかなものだけでなく、捕球後の判断など明らかでないものも含む)による出塁・進塁が失点に繋がる流れが多すぎるので、そこの改善が急務だと思いました。相手チームの守備もどっこいどっこいなのでなんだかんだで点は取れるんじゃないでしょうか。
追加情報
バットに関する規定は特にないらしいです。みんな金属バットだし。でも硬式球だからビヨンドマックスの出番はないかな…(野球しないけど美津和タイガーのJグリップのバットほしい。グッドデザイン賞の展示会で振っただけですが良さげな感じでした)
外国人選手は同時に2人まで出場可能(ただし投手は不可)らしいです。日本の皆さんも北京に留学して北京六大学野球で活躍してみませんか(ここ最近になって東京大学も六大学野球でたまに勝つようになってきたのでちょっと嬉しいですね)
中国の映画館事情
こちらに来てから映画館で映画を2本(「ダンケルク」と「聲の形」)観たので、中国の映画館周りのお話を少し。
チケットの購入
日本の場合、チケットをインターネットで購入する場合は各映画館のサービスを利用しますが、中国の場合は「淘票票」という平台(プラットフォーム)で全国の映画館のチケットが購入できます。支付宝と連携してスマホ上でそのまま支払えるので大変便利。
また、日本ではインターネット購入と窓口購入で価格は同一ですが、中国ではインターネットで購入すると割引価格となり、上映日が先のチケットほど割引率が高くなります(航空券みたいですね)。
スクリーン・設備
今の生活環境内には映画館が3つあるので簡単に紹介します。
シネマコンプレックス
バスで40分くらい。ここにIMAXスクリーンがあるのでダンケルクを観に行きました。価格はインターネットで前日に購入して90元(1500円くらい)なので安くはないです。平日の真昼間だったので客の入りは30人くらいでした。
このIMAXスクリーンには入り口とは別に銀幕横に出口があるんですが、出口から出るといきなり屋外(敷地外の歩道)という合理的な設計になっていて余韻もなにもなかったです。
北京全体にはIMAXスクリーンのあるシネマコンプレックスが10ほどあるようですが、もっと増えてほしいですね(東京ももっと増えてほしい)。
普通の映画館
バスで10分くらい。3スクリーンでそれぞれ50席〜100席くらい?一番小さいスクリーンで聲の形を観ました。価格は当日ネット購入で30元くらい。平日の夜だったのですが客の入りは20人くらいで皆大学生くらいでした(中国で日本のアニメ映画をわざわざ観るのはオタクくらいですしね…)。
名前に「工人」とついているので、計画経済時代の労働者向け福利厚生施設がルーツかもしれないですね。なので全体的に設備もぼろっちいですがその分価格も安いので贅沢は言いません。
学内の劇場
大学の中に大きな劇場があり、コンサートや演劇の他にたまに映画も上映しているようですが、まだ入ったことはないです。かなり大きい劇場(1000席くらいあるんじゃないでしょうか)なのでどんな上映環境なのか気になるところではあります。価格はダンケルクが20元、スパイダーマン:ホームカミングが25元なのでかなり破格の値段ですが、1日2上映限定なので競争率が激しそうです(しかも学内なのでカップルが多そう…)。
字幕
今回観たのがハリウッド映画と日本映画だったので原音に中国語字幕だったのですが、中国では中国語音声の作品でも中国語字幕が付いているのが標準です(映画だけでなくテレビ番組も字幕付きが標準)
なぜ字幕付きが標準なのかはわかりません。こちらの大学の友人は「あると理解しやすいじゃん」と言っていました(現に僕は助かってるわけですが)。中国語は発音や語彙に地域差がありますし、高齢者などは普通话を解さない人も多いのでその辺りが関係あるんではないでしょうか。聴覚障害者に対する配慮の意味もあるのかもしれません。
逆に「なぜ日本の映画館は字幕がないの?」と言われてしまいました。字幕があると目障りだから、と思うのは僕が日本語の聞き取りに問題がない健常者だからなのでしょうか(そういえば「聲の形」はテーマがテーマだけに字幕付き上映が少ないことで物議を醸していましたね)。
予告編
中国の映画には基本的に予告編がありません。鑑賞マナーとか火事対応の公益広告が終わったらすぐ本編が始まります。時間にして5分もないのではないでしょうか。
これもこちらの大学の友人に「なんで日本の映画館は予告編が15分もあるの?」と言われてしまいました。僕も昔はなんで予告編がこんなに長いんだと思っていたのですが最近は上映時刻に10分くらい遅刻してしまうことが多いので大変助かってます(家庭にテレビが普及していなかった頃の宣伝手法の名残なんですかね?他の国ではどうなっているんでしょうか)。
今日はこの辺で。
今日の中国語(1)
中国人のユーモアについて
中国人は食事をしながらおしゃべりをするのが好きなので、特に会食中には色々なジョークが飛び交います。現地人の発した冗談などをいくつか。
「等你们反攻大陆呀!」
(日本語訳:「あなたたちが大陸に反攻するのを待ってるのよ!」)
台湾人との食事中に、中国人の民族性の悪い部分が変えられないことについての発言。
それに対する返事は「我等你们统一呢!(こっちはそっちが統一してくれるのを待ってるんだよ!)」
このような冗談から察するに大陸人と台湾人は個人レベルでは特にわだかまりがあるわけではなく、「同一ではないが不可分なもの」として認識しているようです。
台湾人はよく「台湾跟日本一样(台湾は日本と一緒)」と言いますが、これは日本が好きということではなくて、高齢化や経済の停滞感といった社会の雰囲気のことを指しているようです。
「这样就能拉动GDP么!」
(日本語訳:「そしたらGDPになるもん!」)
(日本と比較した場合に)中国の施工が雑なためにしょっちゅう補修・再施工が必要なことについての発言。
中国の施工は割と雑で、例えば歩道のタイルがすぐゆるゆるになったりマンション壁面のタイルが落下したりというのは普遍的なことなんですが、「毎年のように補修することでGDPが発生している、日本のように一度作ったら数十年保つというのではどうやってGDPを押し上げるんだ」というのが言い分。
それを言い出すと「風力発電は燃料費がかからないけど火力発電は燃料費がかかるのでGDPを押し上げるし善」みたいな意味不明なことになるので、やはりGDPを目標にするのはよくないんじゃないでしょうか。
今日のところはこのくらいで
私的な記録について
問い:私的な記録に意味はあるのだろうか。
記録の定義
記録には、公的なものと私的なものがある。
公的な記録というのは、行政文書や、統計や、報道などといった社会的におおむね正しい情報が保存されたものである。それらは集団としての意識の形成に寄与し、後世に継承される。
私的な記録というのは、個人の内面に生じる役にも立たない、意味もないことをつらつらと書き連ねて保存したものである。そのうちの才ある人によって記されたものが、後世になって価値あるものとして多くの人に読まれたりする(枕草子とか、徒然草とか)。
問題意識
文明の進歩に伴って、記録することのコストは劇的に下がり続けている。同時に、日々星の数ほども量産されている記録は、その内容の価値が下がり続けているのではないか。その中で(才のない人間である私が)あえて私的な記録を残すことに意味はあるのだろうか。
ある村における記録に関する記録
私の先祖が住んでいた村で、私の父親が唯一の写真を撮る人間であった。
村人たちにとって、昨日と今日と明日は同一のもので、わざわざなにかを記録する意味はないように思われた。その中にあって日々の生活を写真に記録していた父は風変わりな人間であった。
父の母、つまりは私の祖母が亡くなった時、村人たちは葬儀の傍らで流されたスライドショーによって、一人の人間の一生が連続した断片として記録されているのを初めて見た。その記録の中では昨日と今日と明日は同一ではなく、そこにはその一瞬の感情があった。意味のない日常の記録にも、過去の感情を再び想起する作用があった。
今は意味が見出せない記録も、後から振り返ることで意味が見出せるのかもしれない。